行事・催し
11月11日 『小松原法難会』 
掲載日 2017年11月1日

この日は聖人の遺徳を偲んで読経会を営みます。

生年四十、弘長元年辛酉、五月十二日には、伊豆の国、伊東の荘へ配流し、伊東八郎左衛門尉の預かりにて三箇年なり。同じき三年癸亥、二月二十二日赦免せらる。「如来現在猶多怨嫉 況滅度後」の法門なれば、日蓮この法門の故に、怨まれて死なんことは決定なり。今一度旧里へ下って、親しき人々をも見ばやと思いて、文永元年甲子十月三日に安房の国に下って三十余日なり…

                          〜「波木井殿御書」〜

弘長3年(1263)2月、伊豆流罪を赦免された日蓮聖人は、

翌、文永元年(1264)10月、故郷安房で病にふせる母に会うため、に帰郷。再会を果たします。

その後、小松原(現千葉県鴨川市)で、聖人は以前から恨みをもっていた、念仏信者の東条景信の襲撃をうけます。

今年も十一月十一日、安房国東條の松原と申す大路にして申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられ候て、日蓮は唯一人十人ばかり、ものゝ要にあうものは、わづかに三四人なり。いる矢はふる雨のごとし、うつ太刀は稲妻のごとし。弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候。自身もきられ打たれ、結句にて候いし程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり…

                           〜「南条兵七郎殿御書」〜

弟子の鏡忍房日暁と信者の工藤吉隆が殺され、聖人も眉間を斬られ、左手を骨折、重傷を負います。一方、斬りつけた東条景信も落馬し、逃亡、聖人は難をのがれました。

冬の時期、日蓮聖人のお像に「綿帽子」をおかけしますが、これは、東条景信に襲われ、奇跡的に鬼子母神のお加護で救われた日蓮聖人が、夜道を逃れ小湊山の近くにたどり付かれた時、額に深い疵を負い、身を隠していた聖人の姿を見かけた「お市尼」という老婆が、自らかぶっていた綿を聖人に差し上げた、という故事に由来します。

寒くなると切られた眉間の疵が痛むであろうと聖人を思い、綿帽子をおかけするのです。

 

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