法話を聞く、読む
「断末魔の叫び声」2016年5月20日 法華感話会
掲載日 2016年6月8日

 死は自分自身の問題だけではない。周りの人に大きな影響を与えるものだ――前回は、そんなお話に触れました。一人の死は、個人の問題であると同時に、その悲しみや苦しみは、家族や仕事場など、生きている人のところへ、さまざまな形で波及していくものなのです。

 「断末魔の叫び声」という言葉があります。「末」とは関節の意味で、この言葉は「関節を切られるような苦しみ」を意味しますが、仏教では、人生とはこのように痛みを味わいながら生きるものだと言っています。

 「生老病死」という言葉もありますね。人は元気なときは老、病、死についてあまり考えないけれど、仏教では、「生老病死」すべてが、生きることそのものだと言われています。

 今回は、お釈迦様が生前、人に与えた苦しみについてのお話に触れたいと思います。

院首 及川真介

Podcast

家族で痛みを分け合う
「出家」という生き方。

 お釈迦様は、カピラという国の王子でした。ところが29歳で家を飛び出します。跡継ぎを失った父・国王は困り果て、次男を国王にしようと考えますが、その次男がいよいよ結婚というときになって、お釈迦様はのこのこ出てきて、次男を連れ出し、お坊さんにしてしまうんです。ますます困った王様は、孫のラフラという、お釈迦様の息子にあたる者を跡継ぎにしようとしますが、これもお釈迦様が引っ張っていって、お坊さんにしてしまう。
 ついに父は「やめてくれ!」と叫び、「オレがどんなに苦しんでいるのか、分かるのか」と嘆いた、というお話です。

 お坊さんになることが、家族にとってどれだけ辛いか――現代では理解しづらいかもしれません。出家とはつまり、家族を捨てること。家と一切の縁を切ること。ですから、今では想像できないくらいの悲しみだったのです。私の父の弟子にも、尼さんになった方がいました。その方が出家をする際、髪の毛を全部剃ってくりくり坊主となって家族の前に現れたとき、家族は誰もが泣き、ああ、本当に別れるんだなあという感じがしましたね。

 2000年ほど前のインドの書物にも、「母ちゃんの嘆き」は多く出てきますね。夫が出家する話です。家族としては働き手を失うわけですから、生活も困るわけです。そういう話が、うんと出てきますね。当時を生きる人にとって、生の苦しみや哀しみというのは、今以上に大きなものだったのでしょう。

 さて、跡継ぎにならずに出家した王の次男・ナンダも、さまざまな苦しみに悩まされます。新婚生活を送るはずだった妻の、「あなた、早く帰ってきてください」という声が、修行中も頭から離れない。困っていると、お釈迦様が現れ、「私が保証人となって、新妻よりもっといい女をつくってあげよう」と言うわけです。お釈迦様には、俗っぽい部分もあるんですよ。こうして、新妻への思いから離れさせる訓練をし、ナンダはやがて思いを断ち切ることができたわけです。

感話会写真 No.0039

どんな美しい女性にも
等しく「死」は訪れる。

 「生老病死」は、それぞれが切っても切り離せないもの――仏教ではそう言われています。
 日本では16歳か17歳ぐらいが最も美しく、華盛りと言われますね。この年頃はある意味、天下無敵。怖いものなし。ですが、この年代を境に、人は誰でもだんだんと心身が衰えてくるものです。

 お釈迦様は生前、あまりきれいな女性を好みませんでした。むしろ、どんなに美しい人でもやがては衰え、死んでいくんだよということを人々に教えていったようです。

 出家しても悟りが開けない者に対し、お釈迦様は、きれいな女の人を神通力でつくり出し、その姿を見せました。まず、その女性の出産する姿を見せ、容色が衰える姿を見せ、そして老いてゆく姿を見せました。腰は曲がるわ、杖の歩行になるわと、美女が衰えていく様子を、お釈迦様は徹底的に見せちゃうわけですね。最後には、死後の姿まで見せる。

 アーマスサンダという、生の死体をそのまま捨てる墓地があるのですが、そこにその女性の死体を捨てます。やがてそれが腐りはて、白骨化し、カラスについばまれてしまう――そんな姿まで、見せちゃうわけです。
「どうだ。人間ってのはこういうものなんだ」
とね。ここまで見せてしまうと、人は観念せざるを得ない。そして、悟りを開くわけです。

 古いお経の本には、こう書いてあります。
「生老病死は、ワンセットになっている」と。
まずこれを頭に入れて、自分の死を考えていく必要があると思うのです。

感話会写真 No.0011

思うままにはならない。
それが自然、それが生。

 死の理由は、さまざまです。個人の原因の場合もあれば、震災や津波など、自分は何もしていないのにやられてしまうことも多い。
 吉村昭さんの著書「三陸海岸大津波」(中公新書)を読んでみると、明治29年には宮城県で大津波が発生し、死者数は3452人。釜石市の人口6557人のうち、5000人以上が亡くなるという大惨事がありました。こうした災害は千年前にも記録されています。

 日本人というのは、これまでにこうした自然災害の中で耐え、苦しみや悲しみを味わいながら生きてきたわけです。

 とんちで知られる一休さんは、足利義満とトラの屏風絵の問答で知恵を競ったことでも知られていますが、この一休さんが生きた時代も、まさに戦乱の世。飢饉に悪疫、洪水、干ばつ、大地震と、次から次へと何かしらの天災、人災が起きていたようです。こんな酷い時代を生きぬくためだからこそ、知恵とユーモアが必要だったのかもしれません。ただ、この時代の寿命は短かったようですね。

 平均寿命を見てみると、今から少しだけさかのぼった大正時代でさえ、女性が43・2歳、男性が42歳。それに比べたら今を生きる私たちは、信じられないくらい長生きなわけです。ただ、長生きして幸せか?という、またそこで一つの悩みが出てくるわけですよね。

 私の飲み仲間だった檀家さんが、老後、がんに冒され、大変な痛みと闘う毎日を送りました。あまりの苦痛に耐えられず、最後は「神経ブロック」という、神経を切る手術を行いました。するととたんに、何ともいえないいい笑顔を見せるようになったのですが――まもなく3日後に亡くなりました。痛みと闘うことを辞め、苦しみから解放された時点で、すでに彼の生命は終わっていたのです。

 当院の敷地内に立つ太田蜀山人の碑には、こんな言葉が書かれています。
「三度炊く 米さえこわし やわらかし
 思うままには ならぬ世の中」 
三度のご飯でさえ、硬かったり柔らかかったりで、うまくいかないものだ。ましてや人の一生なんて、思うままにはならないものなのだ、という意味です。

 仏教用語の「無我」という言葉にも、「私の思い通りにはならない」という意味があります。早い話が、長生きしたところで人の世はままならない。ならば、どうやって生きていくか――ここが大事になってくるのでしょう。
「生老病死」。
毎日毎日をどう生きるか?

 よく考え、老いも病も前向きに受けとめて生きていく――これこそが、安らかな死につながっていくひけつなのだと思います。
 大変な毎日を生きる。これこそが、まさに「生」そのものだと思うのです。

感話会写真 No.0030

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