執事の雑感
イイお寺とは
掲載日 2017年9月4日

(写真は7/31付で代務住職に就任した京都法音院の外観 かなりくたびれている)

「延寿院はイイお寺ですね」と言われることがあります。「山椒は小粒でもピリリと辛いんだぞ」とばかりに、調子に乗って少し鼻が高くなります。しかし、「お寺はお檀家さんのもの」「私に至るまでの歴代住職のお陰である」と、鼻を引っ込めます。

私が当院の31人目の住職なので、一人あたりの任期は平均10年以下となります。所属をしている日蓮仏教研究所で、今年六月に『奠師法縁史』というタウンページよりも分厚い本を発行したので、数年前から江戸時代の僧侶のことを学ぶ機会となりました。坊さんは妻帯をしてはいけない。女犯もいけない。従って、子供はいませんし、よっぽどの高僧でなければ弟子も付きません。つまり、住職を世襲するということはありませんでした。

子供の頃、「住職とは寺に住むこと」と教わりましたが、延寿院のような塔頭(たっちゅう)寺は僧侶になりたての若い人が住職ですから、檀林(だんりん)という坊さんの学校で百日のカリキュラムを年二回住み込みで受講する必要があり、学校があった千葉県多古町までの徒歩往復一週間を勘定に入れると、214日は不在となります。今の感覚ですと、檀家の法事や葬儀はどうしたのだろうか?と疑問が湧きますが、当時は家庭の為に稼ぐ必要もなく、むしろ必要だったのは、勉強をし修行を継続する為の費用を負担し応援してくれる檀那が居ればよかったのです。僧侶が誇るべきことは、例えば何万部も法華経を読み(早く読む人でも一部を読むのに五~六時間かかる)、幾千回も大衆に説教をし、数万人に授戒したかということでした。

明治になって社会が一変すると、寺や僧侶も変わっていきました。それから大正・昭和と経て、特に戦後は封建制度が影を潜めていき、人口の爆発的な増加と都市への集中が、寺へも墓地の造成、葬儀式場の経営、果ては納骨堂ビルの建設など、ニーズとばかりに世間は住職に経営能力?を求めてきます。

寺が全く浮世離れしていいとも思っていませんが、少し時代や社会を俯瞰して見る習慣を身に付けるべきではないでしょうか。川の流れに例えれば、棹をさすことを休み、急流である瀬から、淀みや深みのある淵となれればいいのではないでしょうか。そういう「イイお寺」があってもいいと思っています。

(『延寿』353号より転載)

 

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