執事の雑感
中道(そこそこ)に生きる
掲載日 2016年4月1日

季節が冬から春へと移り、暦は立春を過ぎ彼岸を迎え、梅は散り桜が開花しようとしています。

仏教では中道ということを好み、善悪もまた一如であるとさえ説きます。六波羅蜜の布施・持戒・忍辱・精進・智慧・禅定を念頭に昼と夜の時間が同じになる「お中日」の前後三日の計七日をお彼岸として仏道修養に励み、此岸へと冥土の安心を祈ります。

ご葬儀やご法事には「精進落とし」や「お清め」などと言って、お参りをしてくださった方々にお食事やお飲み物をお出しします。最近はご家族だけで仏事を行う方が増えたので、その意義が感じ難く、また失われてきたようです。地鎮祭や上棟式にもやはり振舞いはあり、地面にお米を撒くなどして小鳥にまでその恩恵・慈悲を分かち合うようにしてきました。

これらの施す人をお葬式のときには喪主と言い、建築やご法事の時には施主と呼ばれたりしますが、悲しみにしても喜びにしても、そこに携わるより多くの人と共に分け合うことが大切なのです。一握りの人が富を独占するような世界がいい社会なのでしょうか?今だけいい世界がいい社会なのでしょうか?

中道(そこそこ)に生きる。分かち合(共生)って生きる。それが他を利し己を利する生き方となるはずです。

少しずつでいいのです。私たちの活動が人から人へ口から口へ手から手へと伝え繋がり広がってくれたならばと願っています。

 

『LO+ vol.5』を発行しました。よろしければお知り合いの方々にもお配りください。ご請求いただければ何冊でもお届けいたします。活動にご協力ください。

(NPO法人ロータスプロジェクト会報誌(2016/4/1)より転載)

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