執事の雑感
人は誰でも仏になれるのです
掲載日 2017年12月21日

僧侶の道に足を踏み入れてから37年が経ちました。何の考えもなくただ親に言われ、生まれた家が寺であったからという理由に過ぎません。

一通りの法要が出来るようにとお経を諳んじ所作を身につけ、人に説教ができるようにと学びます。つまり、期待される役割りが勤まるようにと、少しの努力をしてきたに過ぎず、とても修行をしているとは言えません。

そんな過ぎし日ですが、それなりに思ってきたことはあります。仏教とは仏道のことで、自らが仏となるための道程に違いありません。どんな道にも山あり谷ありで平坦とは限りません。歩み続けるためには体を鍛え、コンデイションを調え、適当な装いを備え、そして日々の準備を怠らず、さらに余力があれば同じ道を行く人の手助けをしたいものです。

修行とは苦行である、との印象がありますが、それは千日や百日といった期間を限って精進し、山中を走り、冷たい水をかぶり、正座をしてお経を何時間も読誦するからなのでしょう。

僧侶になるということは、一つの仕事に就いたということではありません。永遠なるものを求める。仏と成ることを求める。そして、そのためには弛緩することなく淡々と時間を限らず、社会生活の中で様々な方と共に、責任を持った生活をしていくことではないかと思っています。どなたでも仏になれます。ただし、他人を敬い尊重する気持ちを持っている限りにおいてであります。

 

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NPO法人ロータスプロジェクト会報誌(2018/1/1)より転載)

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