執事の雑感
怒るべきではない
掲載日 2017年7月2日

執事長(及川一晋)が住職をしている八王子延壽院が隔月で発行している『延寿』352号が7/1に発行されましたので、その巻頭言を以下に転載します。

寺の世界にも世間一般で言うところの組合があり、その一つの形態に法縁(ほうえん)があります。その年に一度の総会が今年は広島県福山市で開催され、昔は帆船の潮待ちの港として栄えた「鞆ノ浦」や「しまなみ海道」を観光し、製塩場などを見学しました。シルクロードをテーマにした大作や仏教絵画の展示がある「平山郁夫美術館」では、美術館の特別な配慮で、「日蓮聖人」の若き頃の端然とした佇まいの、一般的なイメージとも異なる、座し合掌するお姿の作品を見せていただきました。

一般社会で普通に希求することは、家族や親族の幸せの為にということはあっても、一人ひとりに於いては地位や名誉であったり、お金であったりと、結局は相対的な競争の中に身を置き、「怒り」を必要とするようになります。かつての勝者も今は敗者となり得るということです。

中東で行われている紛争や難民の原因の一つには自称「イスラム国(IS)」の台頭があり、複雑な国際情勢の中でISの拠点は解放されようとしていますが、これで平和が訪れると喜ぶことができるのでしょうか。私は当事者たちの心に刻まれた災厄は、その人の一生をもってしても消えることはなく、むしろ増幅して次世代に引き継がれていくだろうと考えます。

仏教では、出家をし涅槃寂静の境地を求め、またその過程である修行を幸福とします。大乗仏教ではさらに進めて、出世間の出家者も自らの覚りを得るためにも、あえて世間に於いて祈り、娑婆に於ける静寂を説き、全ての物や事、そして命が絆(つな)がり(=縁)の中にあるのだと説明します。

自らも被爆体験者であった平山先生の作品、特に私たちにとっては信仰を体現する人格者である日蓮聖人の祈りの佇まいから、菩薩行が世界を救うのだと観じました。

『法句経』にある経文を添えます。

  走る車をおさえるように
  こみあげる怒りをおさえる人
  彼を私は御者と呼ぶ
  他の人はただ
  手綱をとっているだけだ
  怒らぬことにより怒りに勝て
  善により不善に勝て
  与えることにより吝嗇に勝て
  真実により虚言に勝て
  真実を語れ
  怒るべきではない

今月はお盆を迎えます。13日~16日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。

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